メディア

画像 218.jpg
わたしの父も弟もアルコール依存症でした。米国で参加した依存症の人の家族会で、「あなたは今日、自分のために何か良いことをしたの?」って言われ、気づいたんです。わたしは相手が変われば自分も変わって幸せになれるってかんがえていたなって。それで、まず、自分が変わろうって思い始めました。わたしがいなくてはだめになると思って、人に尽くすのはいいことのようだけど、相手が依存症から抜け出すことを妨げます。自分が変わらないと相手は変わりません。

以下、記事の内容を省略・・・、

最後に

ゴスペルは、祈りと賛美です。
祈りの中に希望があり、賛美のなかに喜びがあります。もう父も母も弟もいませんが、歌い、語っていると、家族をすぐ身近に感じることがあるんですよ。わたしを通してみなさんに語っているような...。
わたしは、今の日本でもっとも必要とされているのは「励まし」だと思うんです。わたしが活動しているのは、触れ合ったみなさんに、「元気になりました」「勇気が出ました」と感じてほしいからです。それがわたしの仕事だと思っています。これからも自分の体験を生かして、前向きに生きます。

素晴らしい記事を書いてくれた京都新聞の島津さん、ありがとうございました!

http://kyoto-np.jp/fukushi/column/yasu/100119.html

 

画像.jpg
岡八朗さんの長女、タイで子供励ますコンサート開始

2005年7月に亡くなった元吉本新喜劇座長、岡八朗さんの長女でゴスペル歌手の市岡裕子さん(44)が、父の死から3年を機に、世界の子供を歌とトークで励ますコンサート活動をタイで開始した。岡さんが生前、アルコール依存症から再起するきっかけとなったのが、裕子さんの歌声。「笑いで人を幸せにしたお父ちゃんに負けんよう、私は歌で人を幸せにしていく」と意気込んでいる。

...続きは、以下の読売新聞WEBサイトをご覧下さい。

2008年7月21日  読売新聞)

本場仕込みのゴスペルシンガー市岡裕子さん(神戸バイブル・フェロシップ)のトーク&ゴスペルコンサートが6月22日、兵庫県尼崎市のJEC ・園田チャペル(和田哲牧師)で開かれた。市岡さんは吉本新喜劇座長として人気を博した故・岡八朗の長女。次々と家族を襲った悲劇の中で信仰をもち、父を支えてきた道程を語り、「アメージング・グレイス」、「きみは愛されるため生まれた」などをパワフルに歌い上げた。

 市岡さんのキリスト教との出合いは、教会付属の幼稚園時代までさかのぼる。このときに祈ることを教わったことは、後の人生に大きな支えとなったという。16歳のとき、うつ病だった母が自殺。発見者は13歳の弟だった。母の遺体を前に泣き叫ぶ父を見ながら市岡さんは、好き勝手のし放題だった父こそ加害者だと思ったと振り返る。傷ついた心を隠し、父を赦せないまま、酒に溺れる父と弟の世話をし、得意の英語の仕事に没頭した。
 32歳のときに渡米。ニューヨーク・ハーレムのメモリアル・バプテスト教会で聞いたゴスペルに魂を奪われる。
 「黒人のすごいおばちゃんたちが体中で歌っていました。『神よ、私はもうぼろぼろです。私は自分の力では生きていけません。私の手をとって家路に連れていって』と。魂の叫びでした。私は泣きました。この歌は自分のことだと思いました」
 教会に通ってゴスペルを習い始めた。教会の人たちは賛美だけでなく信仰の練達者だった。
 「父が自分の人生の加害者だと思ってきました。しかし、聖書はどんな父母も敬えと言っている。たとえ自分が望むような親じゃなくても、恨んできた父を赦し、そして愛しなさいと教えてくれました」
 黒人教会のおばさんの強靭な信仰とゴスペルを通して、市岡さんは神にとらえられた。「私はあの黒人教会のおばさんのように強くなりました」  ブルックリン・クィーンズ音楽院でジャズ音楽を勉強していた途中、アルコール依存症が高じた父の看病のために帰国した。父は胃ガンで胃を全摘出。58歳のときには酔って階段から転落して脳挫傷となり、再起不能を宣告された。弟も酒に溺れ、若くして亡くなった。赦しと愛を体験した市岡さんは、身に合った学業を断念して父を支えられるほど強くなっていた。
 父はやがて断酒に成功し、03年には父娘共著の自叙伝『泣いた分だけ笑わしたる』(マガジンハウス)を出版。急性肺炎で容体の悪くなった父の最期には、ヨハネ14・1~3のみことばを読んで天国に送り出せた。
 「父はゴスペルをゴスペロと言い、イエス様をいえっさんと言っていました。えべっさんみたいに。わしはゴスペロ好き! おまえの魂がわかる! と言っていました」
 市岡さんは歌の合間に力強いメッセージを送る。年々増える自殺者を憂いて、命ある限り互いに励まし合い、愛し合うことの大切さを真摯に説く。会場では涙を流す人もいた。市岡さんは伝道集会、ゴスペルコンサートのほか、人権、福祉、教育などの諸問題についての講演会講師としても活躍している。クワイアの指導でも定評がある。今年の11月22日、タイ・バンコクのインターナショナル・チャーチでのAIDS孤児チャリティー・ゴスペル・コンサートの開催が決定し、今月「市岡裕子インターナショナル・ミニストリー」を立ち上げた。ホームページはhttp://www.ichiokayuko.com

 市岡さん(写真左)は現在ライブ活動を行なう一方、関西を中心に岐阜や鳥取でクワイヤーを教え、この他にも、アメリカのゴスペルツアーのコーディネーター、KBS京都ラジオ(AM1143kHz)で月1回の「京都ゴスペル本舗」の担当、さらには講演活動など、その働きは多岐にわたる

 7月26日に急性肺炎で亡くなった元吉本新喜劇看板役者の故・岡八朗。その長女、市岡裕子さんはゴスペルシンガーであると同時にゴスペルクワイヤーの指導者でもある。クワイヤーには未信者が多いが、レッスンの前後には輪になって各々の必要を必ず祈る。それを通して多くの人々が神の愛を体験する。神への情熱に溢れた彼女のパワーはどこから来ているのだろうか。

本場で体験、信仰へ

 幼少の頃からピアノと歌を習うなど音楽に触れ、歌手になる夢を持っていた。しかし芸能界にいた父から「絶対に女の子は芸能界には入ったらあかん!」と長く反対されていた。そこで、13歳から英語を学び始め、勉のために18歳で渡米した。

 このアメリカ時代に、初めて聖書を手にとって読んだ。父方の祖父が亡くなったとき、当時、神戸バプテスト教会牧師だった故・戸川隆師の夫人である戸川幸子師(現在鳥取バプテスト教会牧師)が、「コリント書の愛についての箇所を読みなさい」と聖書を送ってくれたのだ。

 しかし、アメリカで異端の友人と出会ってから、キリスト教を警戒するようになった。ヨガや新興宗教などに興味を持っていた時期もあった。

 その後、結婚をして貿易会社やカナダ領事館で領事事務代理をするなど順調にキャリアを積み重ねていったが、96年に父親の岡八朗さんが脳挫傷、アルコール依存症などを起こし、自身も離婚を経験。逃げるようにニューヨークへ向かった。

 そのニューヨーク・ハーレムの黒人教会で初めてゴスペルに出会い、興味を持つようになった。「黒人のおばちゃんが、口を大きく開けて喜んで歌っている姿に衝撃を受けました」と市岡さん。戸惑う気持ちもあったが、解放感と気持ちを高められることから、メモリアルバプテスト教会(レネー・フランセス牧師)に通うようになった。その教会では、日本人のクワイヤーに関わるようになり、通訳をするために聖書を読むようになった。「メッセージやゴスペルのフレーズから(神に)触れられ」(市岡さん)、徐々に信じることができるようになった。

 「自分が罪人だということは分かっていましたが、イエス様が私たちの罪のために十字架にかかったということを受け入れることは難しかったです。受け入れたときには、イエス様がとてもありがたいと感じることができました」。時間はかかったが、最終的に彼女は信仰を持った。今は、黒人のクワイヤー以上に大きく口を開けて、体全体で賛美を捧げている。

 彼女の父親である故・岡八朗氏は、吉本新喜劇で「奥目の八ちゃん」と親しまれ、「えげつなー」など数々の有名なギャグを生み出した芸人。だが華やかな陰で長年アルコール依存症に苦しみ、48歳のときには幻覚症状さえ出るほど。50歳でとうとう舞台から外されてしまった。

 そんな岡さんが市岡さんのゴスペルを観るためにニューヨークに来た。賛美が盛り上がるのを目の当たりにした岡さんは「お前が立った舞台に立ちたい」と言い、岡さんがアルコール依存症を克服して舞台へ復帰するため、市岡さんも日本に帰国した。2人で漫才をしたシーンはNHKの番組で放映され、大きな反響を呼んだ。

 後になって市岡さんが桂三枝さんのテレビ番組に出演したとき、岡さんが断酒できたのはゴスペルを歌っている娘の姿を見て励まされたからとの話題が挙がった。そのとき「神様って本当にいるんですよ」と市岡さんが言うと、カメラの後ろにいた岡さんは「神さんやなぁ」としみじみと言ったという。

 市岡さんはKBF(神戸バイブルフェロシップ)に所属し、ときどき岡さんを教会に連れて行っていた。よく岡さんは「わしは、イエッスさん知らんからなあ」と言っていたというが、「イエッスさんはお父ちゃんのこと知ってるよ」と市岡さんは励ましていた。

 その岡さんが7月26日、急性肺炎で亡くなった。症状が悪化していた岡さんは、集中治療室に入っていた。  

 市岡さんはこう語る。「お父さんが楽になるよう、魂が救われるよう、と祈りながら、聖書を読みました。そこで、神様に示されたのはヨハネ14章1節から3節『あなたがたは心を騒がしてはなりません。神を信じ、またわたしを信じなさい。わたしの父の家には、住まいがたくさんあります……』でした。おでこに手を置いて、声を出して聖書のその箇所を祈りました。読み終わった瞬間、1秒の狂いもなく一気に数値が下がったんです。父は、それを受け入れたと確信しました。後で、臓器がすべて止まっても、最後まで残っているのは聴覚だと聞きました。絶対に神様のところへ行ったと確信しています」

 「自分の意志で祈っていたときは心のどこかにまだ不安がありましたが、神に100%信頼して祈るようになったときに、どんどん道が開かれるようになりました」と語る市岡さん。祈りが彼女の信仰生活を変えていったのだ。「神の祝福は私たちの思いを超えて溢れんばかりに臨みますから」と、人の思いを超えて恵みを与える神に期待する。この信仰が、彼女の情熱の源なのだろう。

2007100101.jpg